その2 「雪国」(川端康成・作)の1行目の不思議(二)
英語(話者)とちがって、日本語(話者)では主語の省略により、主客未分、人間と自然との合一の感覚を表現できる、という解釈とは別に次のことが言えるのではないだろうか。この「世界」は本来整合性をもつはずであり、それに対して「私は」「こう判断する」とか「このように認識する」といったヨーロッパ的認識に対して、日本(極東?)では、いつも現実認識として、そのヨーロッパ的なものと、「いや、世界は本来的に整合性や真理という概念ではくくれないのではないか」といった、合理性の一歩手前でいつも立ち止まらせる意識が働くように思える。日本人的在り方というより、現在では日本語表現における、西洋が象徴する近代と、日本の歴史性との重層性に問題はあるのではないか。
明治以降ヨーロッパの文学も日本に入り、明治の文学者たちは、その小説の描き方に影響を受けて、いわゆる作者(現実に生きている存在)と、小説の語り手とをいかに分離して描くかという課題にぶつかったのであった。
何故それが課題だったか。
それは情報としての西洋。科学、文学、経済など文明・文化としての西洋に驚き、あわてて受け入れ、あるいは「世界」というものに加わろうとしながら、その「世界」は決して自分たち日本の「世界」(世間)の延長として存在しているわけではなかった。自分たちを支配している共同世界は現実の目の前の日本であり、自分が生活している都会や地方都市や村といった固有の共同観念を強いる世界であり、にもかかわらず西洋に代表されるいわゆる「世界」との二重性を意識せざるを得ない形で日本人の生活意識は成り立ってきたといえる。
「明治」をくぐり抜けた人たちだけでなく、いま現在に至るまでの日本人の誰もがこの二重性に対して無意識に、あるいは意識的に対処し、物事の判断に際して苦慮する原因を作っている。
語り手の存在の確立には、この普遍概念としての「世界」をともかくも掴んだ、という思いを必要としたのではなかったか。
川端もまた、ある時期のこの二重性の世界の狭間にいて、どのようにそこを突き抜けるかを模索したはずである。否応無しに「世界」と対峙する都会生活では見出せない美の世界が、トンネルの向こう側にはあるかのように描きたい。川端の中では日本的であることを十分に意識しながら、なおかつ西洋というものを組み込んだ「世界」への関わりを避けて通り得ないという認識を経て、日本語を自在に操ったと言えるかもしれない。
日本語(話者)にとって、「主語」を立てることは、どこかで必ず、西洋的な「主体」同士の関係を語る「語り手」を生み出すことである。だが逆に「主語」を書かずに、いわば強引に、見えない主語と述語を溶接してしまう語り手は、主客未分の存在形式を主張したかったのではなく、西洋をも含んだ「世界」との葛藤をこそ描いたと、いうべきであろう。
日本の近代化に終わりがあり得ないとすれば、英文を日本語に語順訳しながら、その違和感を体験し続けることは、英語の構文への理解を進めるだけではなく、これからも英語という言葉、その背景である西洋という世界を感じるひとつの方法であるといえるだろう。英語がわかるということは、とりもなおさず英語「世界」の現実という地面に錘りが、すこしは触れていることなのだから。
「雪国」の1行目の表現世界。その日本語へのこだわりから、私は「震災」や「原発」にまつわることを考えてみたいと思った。すぐに何かがわかるわけではないにしても、さまざまな主義主張とは別に、表現された日本語にこだわってみたいと。誰の身にも起こりうる震災や原発事故について考えるということは、常に現実の関係と「世界」というものをどのように関係づけるかということであるなら、それは必ず、言葉に現れていると考えるからである。