何かの説明のために、次のような例文が示されたとします。
We have a cat.
「私たちは猫を飼っています」という内容ですから、一見具体的な事柄を表した文のように見えます。では、このWe=「私たち」というのは誰を指しているのでしょうか?この文だけではそれは不明です。しかし、たとえばhaveを「持っている」としか覚えていない生徒に、この場合は「飼っている」という意味になると説明する分には、Weがどういう人物かは問題になりません。また、主語はWeではなく、Heであってもいいし、Theyでもかまわないということになります。取り替えがきくということは、この文は抽象的な言葉でできていると言えるのではないでしょうか。
catでなくdogでもいいし、birdでもいいわけです。語彙や文法の説明のための例文は、そのままでは抽象的であると言えます。それは語彙や文法のどのような説明も、抽象性をその本質として持っていますから、例文も抽象的にならざるを得ないわけです。具体的な文では、その文においてのみ通用する説明であると誤解される可能性が生じます。
しかし、その説明内容を理解し、自分のものにしなければいけない生徒にしてみれば、その抽象的水準で事柄を理解しなければならないので、難しいことであると、一般的には言えるでしょう。抽象的な事柄に強い生徒がいるとしても、ごく一部でしょうから、まずは具体性を持たせた例文から説明に入る方がいいと言えます。
今、この例文に背景を付け加えてみましょう。
Aさんに、「今度の日曜日にうちに来ないか」と誘われたBさん。「はい、喜んで」と答えたところ、Aさんが「私たちは猫を飼っているんだ」と言い、加えて「猫アレルギーじゃないよね?」と尋ねました。「ええ、私も飼っていますから・・」というような背景があったとします。したがって、この文の話し手はAさん。聞き手はBさんになります。
さて、背景を与えられたとすると、この英語例文を読む生徒はAさんの立場で話すことになります。しかも、主語がIではなくWeということですから、Aさんの家族全体を代表している=複数の意識=で話すことになります。では聞き手であるBさんは誰でしょうか?それは生徒の想像の中の聞き手としてのBさんになります。言葉はこのように話し手がいて聞き手がいる。その話し手が話し始めた時に、言葉は生まれます。たとえ想像の中のBさんであったとしても、聞き手として設定し、Bさんに語りかけるという場面になります。
この例文の主語がHeであればどうでしょう。He has a cat. と言う言葉を生徒が話す時、聞き手は誰になるでしょう? それはheについてお互いに知っている、つまり二人にとっての知り合いということになります。知り合いである聞き手に対して、「彼」についての情報を、生徒である「私」が話していることになります。このような背景が与えられて例文を声に出す時、例文は初めて具体性を帯びると言えるでしょう。
つまり、ある文の話し手や聞き手がいるとき、言葉は世の中に生まれてきますし、具体的であると言えるのです。そして具体的であればあるほど、新しい知識は身体化しやすい、つまり自分のものになりやすいと考えられます。
話し手としての意識を持つことなくWe have a cat. と発話する場合と、自分が話し手であるという意識を持ちつつ、伝えるべき相手を想定して発話する場合とでは、まるで現実感が違うと考えられます。具体性を持てばそれは一つの体験であるといえますし、記憶に残りやすく、言葉の使い方を思い起こしやすくなります。語彙に現実性を持たせる例としての例文を挙げましたが、文法や構文説明の場合の例文なら、なおさら例文に背景を持たせた方が良いでしょう。
ある一つの文は、たとえそれが日記のように自分自身だけが読み手であっても、必ず読み手と共にいるという共同の世界が想定されています。共同の世界があると思われるからこそ、言葉はそこに投げ出され、波紋を広げていきます。文法例文といえども、その文の前にも後にも、話し手と聞き手にとっての背景(文脈)があるように捉え直してみてはどうでしょう。
具体から抽象へと向かい、そしてまた具体へと降りてゆく。そのような行程があってこそ、知識は身につくと考えられます。