まず最初に中学1年の教科書から任意の箇所を引用します。
(a)NEW GROWN 1よりP72
「ブラウン先生が弟を紹介しています。」
Ms. Brown: This is my brother, Peter.
He plays the bagpipes.
Riku: Bagpipes? Our music club does not have them.
Ms. Brown: Bagpipes are a traditional instrument in Scotland.
Riku: Dose he play them at school?
Ms. Brown: Yes, he does. He belongs to a college band.
(b)2番目は弊社の小学高学年生向け教材の紹介です。高学年生が最初に取り組む物語ですが、‘THE SLOW-WITTED JACKAL’には次のような箇所があります。
One day, a tiger got caught in a trap.
He tried and tried to escape but he couldn’t.
He became angry and bit and clawed the cage.
Just then, a poor man passed by.
Tiger: Oh kind man. Oh gentle man.
Please open this cage.
Man: Oh no! If I open the cage, you will escape.
And if you escape, you will eat me.
Tiger: No! No! I promise not to eat you.
I promise to be your slave forever.
Please, please open the door.
いくつかある小学校高学年用の物語教材の全文は、平均語彙数が800〜1000語。語りの時間は7分前後で、1分間の読みの速さは100語〜137語です。
次は教科書の会話文(a)に語り手を加え、文章を膨らませた例です。
(a’)
One afternoon after English class, Riku met Ms. Brown in the music room. She had just started teaching at the school.
“Riku, do you have a moment?” Ms. Brown asked him.
Riku, a little surprised, replied, “Yes, what is it?”
Ms. Brown smiled and said, “This is my brother, Peter,” showing him a photo. In the picture, Peter was wearing traditional Scottish clothing and holding a curious instrument.
“Peter plays the bagpipes,” Ms. Brown explained.
Riku stared at the photo and muttered, “Bagpipes? Our music club doesn’t have anything like that. What kind of sound do they make?”
Ms. Brown, looking a bit nostalgic, said, “Bagpipes are a traditional instrument in Scotland. Peter loves playing them, and he practices every day.”
Riku, now very interested and asked, “Does Peter play them at school?”
Ms. Brown nodded and replied, “Yes, he does. He belongs to a college band and plays at various events.”
Riku thought for a moment and said, “If Peter ever comes to our school, I’d love to hear him play the bagpipes.” He was very curious about the new instrument and wanted to learn more about it.
On his way home that day, Riku thought to himself, “Someday, I want to visit Scotland.” Learning about the bagpipes and their culture became a new goal for him.
(a)は場面設定の後の「会話文」を。(b)は物語作品の一節。(a’)は(a)に語り手を加えて加工したものです。
最初に、(a)(b)を比較して考えてみます。
文脈の有無
(a)では会話文の状況を最初に日本語で紹介されているだけです。実際の会話では、ジェスチャー、顔の表情、身振り手振りも含めてコミュニケーションが成立しているのですが、ここでは会話文だけ掲載されていて、いわゆる文脈、会話がなされる背景は省略されています。
(b)は物語なので、背景が語られ、ストーリーを展開すると同時に、状況を進行させるための説明がなされます。
語り手
(a)では、語り手がいなくて、会話文だけが取り出されているため、宙に浮いた感じがします。場の雰囲気、文脈が欠如しており、いわゆる手触り感がありません。「ブラウン先生が弟を紹介しています。」とだけあって、あくまでも学習する内容を提示するために仮構された場面設定の感じがします。
(b)は語り手がストーリーの進行役を務め、いわゆる「神」の視点を持ち、登場人物の様子を内側からも、外側からも描くことができています。時間の進行が感じられますし、作品としての構成を持ち、ドラマがあります。この先どのような展開が待ち受けているか、想像を働かせたくなります
(a)と(b)の大きな違いは、語り手が存在するか否かです。(a)は文脈や背景が切り取られ、この章で新たに登場させたい文法事項をとにかく入れた感じが伴い、会話のやり取りは現実感に乏しいと言わねばなりません。(b)は物語ですから、地の文と会話文は密接につながっており、読者は否応なしに想像力を掻き立てられます。
そこで教科書の会話文に語り手をつけてみました。
(a’)がそれです。語り手が加わったことで、(a)の会話がより自然に感じられます。ここでは三人称単数現在形やdoesの使い方を説明するという枠組みを超えて、不定詞や現在進行形、疑問詞、過去形、などが使われています(下線部)。このように文法の範囲を特に限らずに表現することが、より自然な雰囲気を生み出すことにつながります。しかし1年生の初期段階の「易しい」範囲を超えていますので、普通なら使用不可となるでしょう。この例のような長さや複雑さでなく、もっと短くてもいいかもしれません。生成AIを使うときに条件をつければ、程よいものができるでしょう。
以下の説明を読んでいただければ、こうした試みもありかな、そう思っていただけるのではないでしょうか。
本来会話は、声のトーンや身振り手振りに頼る部分が多いと述べました。文が簡素で、内容に省略があっても、相手が話す状況全体が現実感を生み出しているわけです。教科書の会話文(a)では場面設定はあっても、状況と呼ぶべき時間進行の流れが感じられません。
(a’)のようにすれば、会話の文章自体が生き生きとしてきます。会話の進行に必然性が生まれます。教科書では本来の会話の状況から身振り手振り、顔の表情といった重要な表現が抜け落ちているため、会話文は言ってみれば服を纏っていないマネキンみたいなものです。つまりは、情報としての文章だけが抜け殻のように投げ出されています。それに対して物語(b)や(a’)の場合、言葉に作者の表出意識が現れます。そのことで生み出される現実感を読者は感じ取ることになります。
人の心が動くという意味で、物語もまた一つの現実である、ということは言っておきたいことです。物語はフィクションなので現実(生活)と異なり、本当らしくはあっても現実とは異なる嘘の世界という見方がありますが、そのようにはっきりと区別できるものでしょうか。映画を見る、小説を読むことが人に涙を出させますし、見たり読んだりした直後の方が、人の心を大きく捉えると言う思いを持たれた方もおられるでしょう。
そして、何よりも、人の経験というものは、自分にとって必要なものだけに関わり、選択できるわけではありません。すべての出来事が不可避的に人々を訪れます。その時点では難しくて対処できない事柄にも出会います。すぐには対応できなくても心のどこかにはしまわれて、後になって了解できることもたくさんあります。つまり、今日は現在形だけの経験などということはないわけです。中学生にもなれば、過去も未来も対象的に見る目は育っています。その自然な感覚が描かれたテキストの方が心的に自然であるわけで、現在形だけ、などというのは不自然で、現実感から離れています。そこで今日は「三単現のこれだけ」を説明するので理解しなさい、ではなくて、そうした自然なテキストを与えた上で、知識としての取り扱いは軽重いろいろあってもいいのではないかと考えたわけです。例えばこの文法事項は10のうちせめて8〜9はわかってほしいというものもあれば、今すぐにわからなくても一応その存在は知っておいてねというように、3〜5程度わかればよいというものがあってもいいのではないでしょうか。
「難しい事柄」も教えてしまいませんか。今日1日で何もかも分からせようとするのではなく、これから先に詳しく説明するけれど、今はこういうのがあるということを知るだけでいいという考え方になります。つまり知識の受け止めはさまざまですから、同心円の中心から外へ向かうように、さまざまな知識が点在している方が良いのではないかということです。
語り手を登場させることで、テキストに自然さを与えることは、とても重要なことだと思います。だから指導要領に書かれているように、「易しいもの」から「難しいもの」へという基本的な流れは踏襲し、知識を順番に抑えるという考えを変えなくてもいいので、生徒たちの経験はできるだけ自然にということを考慮してもらえればいいと考えるのです。
以上を踏まえると、(a’)のように少し手を加えたものを使用したいという考えに至ります
「現在形」だけと向き合っていても英語についてはよくわからないというのが本当ではないでしょうか。「現在」は「過去」や「未来」という時制の中での相対的な場所にいるわけですから、部分だけを扱っていてもスッキリしないはずです。全般に知識は孤立しては存在できません。色々な関係、ネットワークとして点在していますから、必ず「隣」があります。どんなに離れている知識とも、何がしかのつながりは持っています。従ってテキストは、ストーリーがあって、全体的な経験ができるものが良いと思います。それは言ってみれば、さまざまな知識が点在する星座みたいなもので、輝いてよく見えるもののもあれば、薄ぼんやりして見えにくいものまであります。北斗七星は見分けられても、蠍座や乙女座はわからなくてもいいのです。なんとなく全体が目に入り、少しずつわかるものが増えるというようにしていけばいい。目を慣らすということが大切な行為なのですよく見分けられなかったものが、少しずつ見分けられるようになればいいのではないか。
「同心円の中心」=「易しい事柄、今日学ぶべきこと、今求められている理解」から遠くなるに従って、生徒の理解度が次第にぼんやりしたものになるとしても、なんとなくは知っている、そのような状態を作り出す方が、生徒の現実感と見合い、了解しやすいのではないか、そう考えるのです。従って、教科書の会話に語り手を加え、物語化し、色々な文章に出会わせる方が断然理解が進むと思われます。場合によっては、詳細な説明を受けていない事柄であっても、関心を惹き強い印象を持つこともあるでしょう。だから、中学校においても、1年生の始まりの段階で、少し複雑な文であることを厭わず、さまざまな経験を与えるほうが良いはずです。
「難しい事柄」を教えてしまってもいいのではないでしょうか。今日一日で、あれもこれも分からせようとするのではなく、これから先に詳しく説明するけれど、今はこういうのがあるということを知るだけでいいんだよ、という進め方があってもいいのではないでしょうか。後日、例えば「未来形」を理解しなければいけない日が来た時、「そういえば今までにも何度か出てきたアレか」というように思い出すことのできる材料があれば、その経験は必ず生きてくるはずです。
蛇足になりますが、文法説明のための一般的な例文:Miki plays tennis.(ガイドブックより引用)であっても、それをそのままにしておくのではなく、背景や文脈を想像し、誰から誰へ、誰についての文であるかを意識した方がいいとなります。つまり「文」を孤立させないで、話し手と聞き手とを登場させ、ある状況を含んだ場面を作るのが良い、となります。教室での「やり取り」練習では必ずある生徒が話し手になり、もう一人が聞き手になるでしょうから、ただ会話文のやり取りをするのではなく、Mikiという第三者について話しているところという場面設定に力を入れるべきだと思われます。
私は以前から、教科書の後半に出てくるRead用作品を、学年の当初から利用し、語順訳することを勧めてきました。しかし、文も長くなり、文法事項も多岐に渡りかつ語順訳をするというのは大変厳しいものがあると思います。それよりは教科書の順序に沿いながらでも語り手を登場させて、少し手を加えたものを使うという方法があるのではないかと思っています。ただし語順訳はやはり使っていただきたい。生徒が英語の音調をできるだけ真似し音読することと合わせて学習すれば、必ず語順感覚が身につくからです。初期段階では文法の個別事項を理解するより何より、この語の配置感覚、語順感覚を育てることが最重要であると考えるからです。そうすれば腰が座り、英文に向き合う時に正しい構えをすることができて、特に英作文の学習に優れた作用を起こすからです
今までに何度も紹介してきましたが、私たちの物語作品を小学4年生が実践できているという事実があります。その経験の積み重ねの後、英作文に取り組むのですが(小学6年生)、その時までに語順感覚が深く馴染んでいる生徒は、大筋間違えないで英文を作ることができているのです。
語順感覚が育つということは、主語や述語動詞、そして目的語ということを繰り返し意識してきたからこそ可能になるのですが、学習の初期段階に、個々の文法知識より大切なことがこの文の要素の理解と語順であると思います。会話文だけではなく、語り手の地の文を含めた自然な文章が生み出す英文の音調を真似て、繰り返し音読し、表現することが一番大切なことなのです。その高い音読の質を保障するのが、「語り手のいる自然な会話文」だと思います。
(つづく)