『暮らしの質を測る』
スティグリッツ委員会の報告書
立教大学特任教授 福島清彦訳
一般社団法人金融財政事情研究会 刊
任期中の2008年、元仏大統領サルコジ氏は経済学者スティグリッツ氏を含む3人の専門家による委員会を立ち上げた。それは以前からのOECDにおける検討課題を実践に移すものであり、OECDはその報告書が発表されたあと、50周年を記念して2011年5月にその報告を参照し、新たな指針を出している。(「OECD幸福 度及び 社会 進歩の測定 進歩」 参照)
この報告は、従来の経済発展のシンボルでもあったGDPの数値への依存度を相対化するもである。人々の生活の状況を生産力の伸び率からのみ測るのではなく、文字通り人々の幸福度を考えるに当たって、将来をも視野に入れた生活の質の向上が何によって計られればいいのかを問うために行われたといっていい。経済や会計、統計の専門家向けの内容なので素人にはわかりづらい面もあるが、民主主義や個人の自由を生み出してきたヨーローッパ精神の良い面を見る思いがする。
よく言われる西洋の進歩史観からすれば、これは一つの立ち止まりであり、反省の姿勢を表すものであろう。サルコジ氏は前文の挨拶で次のことを二度繰り返し述べている。
『この委員会「以前」と「以降」という言い方をするようになるだろう。』
(訳者によると、「フランスでは・・・この報告書を全公務員の研修用必読文献にしたという」)
「幸福度」という言葉はすでにブータン王国で使われており、日本人にとって話題にもなったが、国際社会全体にとってGDPの指標が、それだけでは人々の生活の実態を示してはいない状況が、差し迫った段階にきていることの証しでもあろう。
その序文では、例として次のことをあげている。
『ロシアでは1人当りGDPが上昇しているとしても、平均寿命が短くなっており、背後に問題があることがわかる。アメリカでも同じようなことが起きている。たいていの人の(物価調整後の)所得は1999年から2008年まで低下したのに、1人当りGDPは増加した。これは経済業績について、まったく異なる二つの姿を示すものである。
暮らしの現実とGDP統計のこうしたズレは、所得が上昇しているとき、同時に所得格差が拡大していると発生する。』
さて、日本ではこれら一連のニュースは、少なくとも大きな話題としては無かったのではないか。(私は残念ながら見聞きした覚えは無いのだが)たとえそれがニュースとして流れたとしても、そのことが継続すべき大切な話題であり、むしろ社会全体がこれから何を指標にして、どういう方向へ向かえばいいのかといったテーマを、政府自身が提唱すべきではないだろうか。
これからの日本を考える場合にも、こうしたことがもとても大切なことになると受け止めていれば、政党の党首選挙の騒がしい今、空しい言葉の乱発ではなく、現実を踏まえた理念を語り、生活の質を変えることによって、人々の生活の幸福度を上げるためには何をするべきかをせめて候補の一人くらいには、言葉にして欲しいものである。
原発依存のゼロ化、雇用の創出、美しい日本、そして相変わらずのGDPの上昇・・などの個別の政策ではなく、国民の「生活の質」とは何かを明らかにし、それと政策とがどのように結びつくのかを示すべきであろう。
日本語における<民主主義>も<自由>も、その内実は何だろうかとあらためて思う私にとっては、報告書に表れる “well-being”という言葉は「幸福度」といったニュアンスよりは個人の自由度、生活の充実度、生活にまつわる諸概念の現実感等々、その都度別々の言葉で表してみたい気がする。「幸福」という言葉よりずっと、個人の自立を前提にした言葉のように思えるからである。
But emphasising well-being is important because there appears to be an increasing gap between the information contained in aggregate GDP data and what counts for common people’s well-being. This means working towards the development of a statistical system that complements measures of market activity by measures centred on people’s well-being and by measures that capture sustainability.
(「Report by the Commission on the Measurement of Economic Performance and Social Progress」 より引用)
<common people’s well-being>「普通の人びとの幸福度」
このcommonや people’sや well-being一つ一つの語に感じられるニュアンスと、日本語から来るものとはまだまだ千里の径庭があるといわざるを得ない。