「雪国」(川端康成・作)の1行目の不思議(一)
「汽車が、国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」というように、川端が「主語」を明快に書いていたら、これほど話題にはならなかったでしょう。サイデン・ステッカーが翻訳した作品、その1行目の英文を語順訳するとこうなります。
The train came out of the long tunnel into the snow country.
汽車は
汽車はきた
汽車は~から出てきた
汽車は長いから出てきた
汽車は長いトンネルから出てきた
汽車は長いトンネルから~の中へ出てきた
汽車は長いトンネルから雪国の中へ出てきた
主語と動詞を挟んで順繰りに語句を加えてゆく訳の過程で、学習者は英語の主語と動詞の結びつきの強さを否応なしに感ずることになります。初期の訳し方だと、文を完訳するまでに6回、主語と動詞の組み合わせを繰り返しますので、主語の単独の存在感ではなく、主語と動詞の関係の強度、とでもいうべきものを体感するのです。
この英文は、「国境」という、川端がこだわったはずの一語を省くことで、「主語」を設定しえた訳、とでもいっていいかもしれません。
なぜ、川端康成は第1行目では、主語が無く、登場人物の独語とも、語り手の視線からの描写とも思える曖昧な表現を選択したのか。この1行目の日本文と、サイデン・ステッッカーが翻訳した英文との差異を多くの識者が様々に解釈を示している。それらとは異なる試みをしてみたい。
原作は
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
明らかに英文と異なるのは、主語の有無云々以前に、まず語り手の表現の意識の流れの最初に来る語が、「The train」と「国境」ということである。必ずしも最初に主語を設定する必要の無い日本語、その原作では明らかに、「国境」が強く意識されている。単純に地理的境界というのではない。なぜなら、主人公はこの列車に乗り、国境のトンネルを抜けるのは初めてではない。登山にふさわしい新緑の季節に一度来て、駒子と出会っているのである。そして、まさにかつて新緑であった前回は、「こちらとあちら」は同じように新緑に溢れていたのである。その同一性が今回は裏切られ、あちら側が異なる風景を見せていることに驚いているわけである。
主人公島村にとって、こちら側(都会生活、現実の場所)とあちら側(駒子と共有した山村での時間)とをスムーズに結びつけたいという願望に対して、雪国の風景はちいさなひび割れを起こす予兆ともなっているのである。二人が共有した新緑の風景は、ここで主人公にとって未知の「雪国」へと変化したのである。
作者はトンネルを挟んで異なる風景へと汽車が走り出る様を描きたかったわけではない。このトンネルを抜けると駒子に会うことになるという主人公の思い(時間)に小さな切断面を入れておきたかった、それが「だった」の結語に表れてはいないだろうか。「雪国」は風景としてのそれと、文字通り都会とは異なる世界の象徴としての存在という両義性があるように思う。
この1行目では作者はまだ語り手として自らを分離することなく、主人公の立場からの表出を感じさせる文体を選択している。なぜか。主人公の過去からの時間性を説明抜きで表したかった。それは表現上の技術の問題ではなく、作者はこの1行にこだわったのである。語り手として離陸する前に、彼は長い間この1行に、この1行の喚起する自らのイメージに滞留していたのではないだろうか。作品の構成が出来てから最初の1行を考えたか、最初にこの1行が浮かんだかは問題ではない。全体の構成とこの1行の関係を考えたとき、作者と語り手とを分離し、主語を立てることを拒否したとしかいいようがない。「長い」という言葉にも距離的な事実だけではなく、一回目の旅の行き帰りの感情が重なっていると見るべきであろう。
最初に「国境の長いトンネルを抜けると」がくる段階では、読者は汽車を連想してもおかしくはない。だがそれが示されることなく、「雪国」が来る。そのあとに「である」で終止すれば、語り手による情景描写とも受け取れる。英文のように、主語としての「汽車」が省かれているというように解釈もできる。しかし、「あった」と来る。この感慨をこめた終わりが来たとき、読者は想定された「語り」や「主語」の行き場が無くなり、第4文の「向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した」に至ってようやく、語り手と登場人物という形式に落ち着きを覚えるのである。まるで夢から覚めるようにして、語り手が現れてくる。
もちろん、この語りは、語り手の客観描写とも受け取れる。その場合は「汽車が」という主語が省略されているという判断に近づくことになる。しかし、その場合は、やはりなぜ省略を選択したのかが、問われなければならない。日本語における主語の省略は、省略ではなく、主語に対するより、物事への関係意識の方へ引き寄せられた結果であるというべきである。それが日本語の自然な振る舞いというのではなく、明らかに作者は現実と格闘し、その現れとしての小説であることを自覚している。また、だからこそ、この作品は人々の共感を呼んでいるにちがいない。