第1部「ことば」への立場:なぜ物語?なぜ語順訳?

前回の記事は はじめに(前提と全体) です。

なぜ物語?なぜ語順訳か?

コアライブラリー協会 代表 弟月哲夫

私たちの方法の基礎は、英語の「表現」の面を学ぶこと。方法を実行する上で一番大切なことは、生きた英語に触れる! そして、そのようなテキストを使って英語を一語ずつ順に日本語に変えてゆく!ということです。

言葉が生きている、とは?

たとえば、「This is a pen.」

教科書では悪評高いこの例文も、しかるべき位置におかれれば、生きてきます。
目の前に置かれたペンを指して、このように言うならば確かに馬鹿馬鹿しいのですが、それは英文を文字通りの「意味」としてだけ捉え、SVCの文型の説明に使おうとするからで、およそどのような「文」も馬鹿馬鹿しいといわれる理由はありません。

どのように使われるかでその内容は変わります。

つまりそこに単に「意味」だけではなく語り手や話し手の思いや感情がこめられて語られるのが常だからです。

たとえば、停電で暗闇の中を手探りでペンを探さなければいけない状況を思い浮かべてみてください。机の上に手をやり、コインやグラスや灰皿が手に触れる。「違う」「違う」そのうちに細長くて先のとがったものに当たる「ペンだ!」という風に。

あるいは古生物学者がカナダ北部の海のそばでハンマーを手に何かを探している。そして古い地層の中に何かを見つける。それは彼の心臓を高鳴らせ、喉から飛び出さんばかり、もしかして、もしかしてこれは・・・そして叫びます。 「This is a fish!」 あるいはただ「Fish!」とだけ言うかもしれません。いずれにしろ、そこには彼の発掘史、50年の月日のさまざまな思いがこめられています。

言葉は、表現する者がいて初めて生まれる

言葉の表現には常に語り手や話し手の強い選択性が働きます。また、その言葉に対する固有の思いやイメージが必ずあります。

必ずそれを表現する者がいて初めて、この世に姿を現わします。
要は言葉を、その語彙的、文法的な「意味」だけのものとして学習者に与えないことが大切ではないでしょうか。そうすれば学習者にずっと身近な対象として英語が見えることだろうと思います。

次になぜ、前から順に、なのか。

英語で朗読されたり書かれたりした物語が教材です。

私たちは英語をまず、あるとき語られたり、書かれたりした「表現」物として与え、その語り手なり書き手の表現意識、文を創造する時の流れを追体験させます。その方が英語の本質に迫るはずだという立場からの学習法だといえましょう。

別の言い方をすれば、一般的な学習法はすでに「書かれたたり」「語られたり」したあとの文章の意味をつかむこと、知識を与えることに力がそそがれますが、私たちは「語るとき」「書くとき」の、英文が構成され意味が生まれ出る過程を見てゆくのです。

その流れをたどりながら訳していけば、英語の持つ独特の構文、統語の感覚が養われます。さらに、文字通り線形で生まれては消えてゆく音声を追いかける音読は、目には見えませんが統語感覚を養います。

なぜなら、語り手や書き手は必ず、意味伝達のための語彙の選択だけではなく、言葉の流れを無意識にあるいは意識的に整えているところがあります。言いたいこと書きたいことの内容に応じてです。

(従来の返り読みは、自分がもっている知識を前提に行われるものです。良い面も持っていますが、これから英語を学ぶ生徒にはできません。)

またいずれは長文に出会うわけですが、前から読み取る方法を身につけると、速読ができるようになります。また英作を(つまり会話などを)行うとき、語順が自然に決まる感覚が身につくのです。

次回の記事は コアの語順訳(実例1) です。

解説「コア式語順訳」もくじ

  1. はじめに(前提と全体)

第1部 「ことば」への立場

  1. 概論:なぜ物語?なぜ語順訳?
  2. 実践編:コアの語順訳(実例1)
  3. 補遺:自然な英語に丸ごと触れる

第2部 「ことばの森」に入る