<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>英語教育の方法と成果 [コア＋（コアタス）]</title>
	<atom:link href="http://core-english.net/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://core-english.net</link>
	<description>実績約40年のコア英語教室は、音声と独自の語順訳を柱に「日英の差異」をしっかり認識させる＜コア式英語教育法＞で、英語がわかる・使える小学 生・中学生・高校生を育ててきました。大学受験や英語論文も余裕の英語力、その秘密を公開！</description>
	<lastBuildDate>Wed, 01 May 2013 07:06:12 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>http://wordpress.org/?v=3.1.3</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://core-english.net/feed" />
		<item>
		<title>「abさんご」黒田夏子著</title>
		<link>http://core-english.net/515.html</link>
		<comments>http://core-english.net/515.html#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 01 May 2013 07:06:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>otozuki</dc:creator>
				<category><![CDATA[日々のオトヅキ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://core-english.net/?p=515</guid>
		<description><![CDATA[斜め読みを許さない文体である。音読をすればすぐにわかる。読者の呼吸のリズムを拒否し、作家のゆるやかな時間に引き入れる強さがある。性急さへの戒めのように。 フィルムを巻き戻し、咲いた花を元のつぼみ、双葉の状態にまで遡るかの... <a class="meta-more" href="http://core-english.net/515.html">more <span class="meta-nav">&#187;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4163820000/ref=as_li_tf_il?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4163820000&amp;linkCode=as2&amp;tag=miyoneeosusum-22"><img border="0" src="http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;ASIN=4163820000&amp;Format=_SL110_&amp;ID=AsinImage&amp;MarketPlace=JP&amp;ServiceVersion=20070822&amp;WS=1&amp;tag=miyoneeosusum-22"></a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=miyoneeosusum-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4163820000" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important;margin:0px !important" /></p>
<p>斜め読みを許さない文体である。音読をすればすぐにわかる。読者の呼吸のリズムを拒否し、作家のゆるやかな時間に引き入れる強さがある。性急さへの戒めのように。<br />
フィルムを巻き戻し、咲いた花を元のつぼみ、双葉の状態にまで遡るかのように、一つひとつの言葉をその初期形にまで解いてゆくといえるだろうか。</p>
<p>題からして、「a b」ときたら、つい「ｃ」と言いたくなるこちらをみすかして、躓きの石のように「さんご」（coral）が置かれている。言葉を既成のものとして使わず、作者にとっての意味やイメージをその都度ていねいに紡いでいる。経糸という物語の流れに対して、緯糸という言葉をひとつひとつくぐらせながら、仕上がりの模様を想像している姿が思い浮かぶ。一般的な表現の世界なら、比喩を使うことで、ある言葉の価値を高めてゆくことになるところを、逆に言葉の素朴さ、初々しさを取り戻そうとしているようにもうかがえる。</p>
<p>言葉の初期形というものがあるとすれば、そこへたどり着く道はきっと、現在の混迷を見通す道にもつながっているはずである。なぜなら、それは私たちが自分ではどうにもならないと思いがちな、無意識への道にも通ずると思われるからである。かつて、メタファーは自然と人間との交感の証であった。現在、言葉は限りなく記号への高みを目指し、抽象された自然との、つまり生きているということのメタファーを探しあぐねている。</p>
<p>木や石に刻んだ文字が、今やPC上に幻のように存在していても、それもまた自然との交感であることは事実である。エコ活動だけが自然との関係の取り戻しになるのではない。PC上の言葉を作者のように一つひとつ解いてゆく先に、新たな手作りの織物が生まれるのかも知れない。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://core-english.net/515.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://core-english.net/515.html" />
	</item>
		<item>
		<title>セミナーが開催されました</title>
		<link>http://core-english.net/512.html</link>
		<comments>http://core-english.net/512.html#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 15 Jan 2013 06:36:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>otozuki</dc:creator>
				<category><![CDATA[コアES天満]]></category>
		<category><![CDATA[アメリカホームステイ]]></category>
		<category><![CDATA[セミナー]]></category>
		<category><![CDATA[国際交流]]></category>
		<category><![CDATA[夏休みホームステイ]]></category>
		<category><![CDATA[海外ホームステイ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://core-english.net/?p=512</guid>
		<description><![CDATA[Social Skillを磨く国際交流 ～世界市民となるために～ 2012年12月19日（水）10：30～　 コアイングリッシュスクエア天満にて上記セミナーが開催されました。年末の忙しい時期と重なって、こじんまりとしたセ... <a class="meta-more" href="http://core-english.net/512.html">more <span class="meta-nav">&#187;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h3>Social Skillを磨く国際交流<br />
～世界市民となるために～</h3>
<p><a href="http://core-english.net/wp-content/uploads/2013/01/IMG_1193.jpg" rel="lightbox[512]"><img src="http://core-english.net/wp-content/uploads/2013/01/IMG_1193-180x135.jpg" alt="SocialSkillを磨く国際交流" width="180" height="135" class="alignright size-medium wp-image-513" /></a>2012年12月19日（水）10：30～　<br />
コアイングリッシュスクエア天満にて上記セミナーが開催されました。年末の忙しい時期と重なって、こじんまりとしたセミナーとなりました。セミナータイトルも少しお堅い感じで「私には関係ないわ～」などと思われた方もたくさんいらっしゃったのではないでしょうか。</p>
<p>講師の宮崎さんは、海外と日本の青年の橋渡しをして30年。その間に6000人を超える子供たちが海外へ、そして1800人を超える子供たちが日本にやってきました。コアの生徒も500人以上がこのプログラムでお世話になっております。（詳しくは<a href="http://www.utrek.org/" target="blank_">ユートレック国際交流センターＨＰ</a>へ）</p>
<p>英語の力を伸ばすために、「ホームステイをさせてみたい」「ホームステイしたほうがいい」漠然とそう思っていた私は、この夏、息子をアメリカでホームステイさせました。たった2週間のstayでしたが、英語を身につけることがアメリカの友人とのコミュニケーションに絶対必要なこととなり、英語を学びたい気持ちは格段に上がったと思います。</p>
<p>このセミナーに参加して、彼がアメリカで得たものはこれだけではないと知りました。「自分と違うものを受け入れること」この体験が一番大きいものであったのだと知りました。ホームステイ先では違った言語、生活習慣…すべてを受け入れて順応しなくてはいけません。できなければ、ホームステイを中断して帰ってこなければなりませんから。こうして、実際の交流で他者を認めていく。そして自分も認められる。自分が認められるために、Social Skillが必要なのです。ここで初めて、今回のセミナーのタイトルを理解することができました。</p>
<p>Social Skillとは何でしょうか。辞書を引くと、「社会の中で自立し主体的であるとともに、他の人との協調を保って生きるために必要とされる生活上の能力。社会技能」とありました。</p>
<p>宮崎さんの体験の中に、こんなお話がありました。日本のある家庭にホームステイしたアジア人の子どもから、ホストからの扱いが冷たいと連絡を受けた。ホストファミリーに話を聞いてみると、英語を話す子供だというから、てっきり白人の欧米人かと思ったら、アジア人じゃないか！と。この話を聞いて「なんて、ひどい！」と思ったと同時に、「私にはそんな感情はない！」と言い切れない自分がいるのも感じました。残念なことですが、日本での受け入れ家庭の中には「白人の欧米人」を限定してホストファミリーを希望するところがまだまだ多いようです。アメリカのホストファミリーがそのような条件を出すことは全くないそうです。国際化だ、グローバルだと表面的なことばかり追いかけていることを恥ずかしく思いました。</p>
<p>宮崎さんの言葉の中に印象深い言葉がありました。</p>
<p><strong>『グローバルとはローカルを知ること』</strong></p>
<p>localとは、その地方に限定される特有なこと。風俗・自然・情緒など…。localを知り、受け入れる事なしにglobalな何かを自分のものにすることはできないのです。</p>
<p>大変有意義なセミナーでした。<br />
次回の宮崎さんのセミナーへは、是非、多数の親御様のご参加を期待いたします。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://core-english.net/512.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://core-english.net/512.html" />
	</item>
		<item>
		<title>自由学習教室がスタートします！</title>
		<link>http://core-english.net/511.html</link>
		<comments>http://core-english.net/511.html#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 01 Oct 2012 05:44:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>otozuki</dc:creator>
				<category><![CDATA[コアES天満]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://core-english.net/?p=511</guid>
		<description><![CDATA[英語が苦手、嫌いになりかけの人　 学校の成績が0点でも大丈夫。必ず前に進めます！ 得意な人は、もちろんもっと伸ばして、使える英語を身につけよう！ 新しいことを知る喜びが、英語ではどうして少なくなっていくのでしょう？これは... <a class="meta-more" href="http://core-english.net/511.html">more <span class="meta-nav">&#187;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span class="graybg">英語が苦手、嫌いになりかけの人　<br />
学校の成績が0点でも大丈夫。必ず前に進めます！<br />
得意な人は、もちろんもっと伸ばして、使える英語を身につけよう！</span></p>
<p>新しいことを知る喜びが、英語ではどうして少なくなっていくのでしょう？これは今だけの話ではなく、昔から同じような状況です。そうすると、学んでいる皆さんが怠けているからとか、頭が悪いからとかいう理由ではなさそうです。同じ傾向が長い間続いているとしたら、それは学校や塾での学び方に限界があるのではないかと言えそうです。過半数の中学生が嫌いな科目として英語をあげているとしたら、指導の側が反省しなければいけないといえるでしょう。</p>
<p>学校や塾では教わらない方法で、英語がわかるようになる学習法。コア式はどなたでも、目と耳と手を使えば前に進む画期的な方法です。</p>
<p>この方法は、１９７４年に設立したコアライブラリー協会が長年にわたり、何千人というお子さんを相手に実施して、その実績を上げています。今回コア イングリッシュ スクエア天満では、より多くの方たちに知っていただき、英語の「わからない」を克服し、ご自分の英語学習に役立てていただこうと、この新しいプログラムを企画しました。ご遠慮なく、お気軽にお越しください。</p>
<blockquote><p>対象：中学1年～3年<br />
授業時間：1回90分<br />
形態：個別対応（1～3名）<br />
授業料：1回2,100円（税込、受講後振込）<br />
受講回数：自由、予約制<br />
内容：受験やテスト対策は行いません。ほんとうの学習法を身につけて、学校の授業がわかる、英検に挑戦できる、自分で学習できる、これらを目的とします。</p></blockquote>
<h4>第1回授業日：10月21日（日）11時～17時の間で設定させていただきます。</h4>
<p>詳しくは、<br />
コアイングリッシュスクエア 天満までお問い合わせください<br />
電話　　　06-6353-6656（平日9：00～17：00対応）<br />
Email　　es@core-temma.net　</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://core-english.net/511.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://core-english.net/511.html" />
	</item>
		<item>
		<title>語順訳あるいは震災・原発（その５）</title>
		<link>http://core-english.net/508.html</link>
		<comments>http://core-english.net/508.html#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 28 Sep 2012 07:30:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>otozuki</dc:creator>
				<category><![CDATA[日々のオトヅキ]]></category>
		<category><![CDATA[原発]]></category>
		<category><![CDATA[震災]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://core-english.net/?p=508</guid>
		<description><![CDATA[「宮沢賢治の世界」 吉本隆明著　　筑摩選書（2012年8月刊） もう二十年以上も前、会社からそれほど遠くない会場で吉本さんの講演があるというので、出席したことがあった。そのときの内容が今回講演集としてまとめられた中に入っ... <a class="meta-more" href="http://core-english.net/508.html">more <span class="meta-nav">&#187;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://core-english.net/wp-content/uploads/2012/09/miyazawakenji1.jpg" rel="lightbox[508]"><img src="http://core-english.net/wp-content/uploads/2012/09/miyazawakenji1.jpg" alt="宮沢賢治の世界／吉本隆明" width="115" height="115" class="alignleft size-full wp-image-510" /></a>「宮沢賢治の世界」<br />
吉本隆明著　　筑摩選書（2012年8月刊）</p>
<p>もう二十年以上も前、会社からそれほど遠くない会場で吉本さんの講演があるというので、出席したことがあった。そのときの内容が今回講演集としてまとめられた中に入っていた。<br />
「宮沢賢治を語る」と題されている。学生時代に一度彼の講演を聞く機会を逸して以来、一度は聞いてみたいと思っていたので、半日休んで行ったことを今でも覚えている。</p>
<p>彼が発行していた「試行」の読者にも一時はなったものの、年間購読料があるとき切れて、その後は書店に見つけたとき買うということをしばらくは繰り返していたが、そのうち書店でも見かけることが無くなり、その後「心的現象論本論」が刊行されるのをずっと待っていたことがある。　私にとっての一冊を選べと言われたら　（誰も聞かないでしょうが）「言語にとって美とは何か」だが、「心的―」も繰り返し読んだ。「疎外」概念がこれほど日本語として生き生きと語られた本を他に知らない。「最後の親鸞」「初期歌謡論」など学ばせていただいた著作は数多いのだけれど、「宮沢賢治論」もそのひとつ。今回は今まで未収録の講演集である。</p>
<p>さて、その講演で一番印象に残った言葉が、「倫理の中性点」ということであった。<br />
「宮沢賢治の倫理の中性点、つまりこのことは倫理であるとともに倫理ではない。それは反倫理ではなく何でも無いことで、善悪に関係ないことだとかんがえられる二重に重なった部分があります。」</p>
<p>「黒ぶだう」をとりあげ、その紹介を終えて（賢治の本文はご自分でお読みください）<br />
「いいやつと悪いやつがどういう因果応報の報いを受けるか。悪いやつが報いを受けず、逆にいいやつが受けてしまう。倫理的な作品に当然なるところですが、読む人もうまくはずされてしまうし、倫理自体がここでははずされてしまう。本来、倫理になるものでありながら、倫理自体がはずされて、全く中性になってしまう。このことは、宮沢賢治が抱いた倫理観の原点になっています。これはいろいろにかんがえられておもしろい、宮沢賢治の倫理観、発展して宗教観もそうなのですが、悪いやつは悪い報いを受け、いいやつはいい報いを受けるということを描いているわけでもないし、倫理というのは一番大切なものだというふうに描いているわけでもない。そうではなく、倫理と倫理でないものが二重に重なった場所があって、それはとても大切なことで原点になっているということが、宮沢賢治のとても重要なところのようにおもいます。」と語る。</p>
<p>ここには親鸞における「他力本願」や「非僧非俗」、あるいは「還相」についての、彼の著作にも通じてゆくものを感じる。<br />
学生のときから、「倫理」がそのまま「正義」となり、地滑りのように「権力」になっていくあり方に関心をもっていた私にとって、この「中性点」、いわば倫理以前の倫理、とでもいうべき見方はとても新鮮であった。と同時に、以後多くの事柄の思考の出発点にもなったのである。</p>
<p>今回のような大きな災害・事故自体を取り上げても、恐らく問題は解けない。人それぞれにかかえている日常の、それこそ些細な事柄。生きているかぎり、誰にとっても伴う、ちぐはぐ感や不安や苦痛との接点をこそ探さなければいけないのだと、そう思う。<br />
倫理で解こうとすれば、善悪の二者がこの世にはいることになり、人間存在の課題がただの政策論議にすりかえられてしまう。個人から社会全体に至るまでのすべての問題に整合性を与えた解はまだ誰一人提出したわけではない。そのような状況で自分だけは善の側に立っていると喧伝することは、やめて欲しいものである。<br />
ふだん私たちは隣人や知人と自然な会話を交わしていることに、無意識にしろ価値をおいているはずである。事柄の大小ではなく、それぞれのつながりのなかで、問い続けるしかないのではないだろうか。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://core-english.net/508.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://core-english.net/508.html" />
	</item>
		<item>
		<title>語順訳あるいは震災・原発（その４）</title>
		<link>http://core-english.net/505.html</link>
		<comments>http://core-english.net/505.html#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 27 Sep 2012 02:43:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>otozuki</dc:creator>
				<category><![CDATA[日々のオトヅキ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://core-english.net/?p=505</guid>
		<description><![CDATA[『暮らしの質を測る』　 スティグリッツ委員会の報告書 立教大学特任教授　福島清彦訳　　 一般社団法人金融財政事情研究会　刊 任期中の2008年、元仏大統領サルコジ氏は経済学者スティグリッツ氏を含む3人の専門家による委員会... <a class="meta-more" href="http://core-english.net/505.html">more <span class="meta-nav">&#187;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://core-english.net/wp-content/uploads/2012/09/41oRKRJJDZL__SL500_AA300_.jpg" rel="lightbox[505]"><img src="http://core-english.net/wp-content/uploads/2012/09/41oRKRJJDZL__SL500_AA300_-180x180.jpg" alt="暮らしの質を測る" width="180" height="180" class="alignleft size-medium wp-image-506" /></a>『暮らしの質を測る』　<br />
スティグリッツ委員会の報告書<br />
立教大学特任教授　福島清彦訳　　<br />
一般社団法人金融財政事情研究会　刊</p>
<p>任期中の2008年、元仏大統領サルコジ氏は経済学者スティグリッツ氏を含む3人の専門家による委員会を立ち上げた。それは以前からのOECDにおける検討課題を実践に移すものであり、OECDはその報告書が発表されたあと、50周年を記念して2011年5月にその報告を参照し、新たな指針を出している。（<a href="http://www.measuring-well-being.asia/jp/pdf/bd_j_1.pdf" target="blank_">「OECD幸福 度及び 社会 進歩の測定 進歩」</a>　参照）</p>
<p>この報告は、従来の経済発展のシンボルでもあったGDPの数値への依存度を相対化するもである。人々の生活の状況を生産力の伸び率からのみ測るのではなく、文字通り人々の幸福度を考えるに当たって、将来をも視野に入れた生活の質の向上が何によって計られればいいのかを問うために行われたといっていい。経済や会計、統計の専門家向けの内容なので素人にはわかりづらい面もあるが、民主主義や個人の自由を生み出してきたヨーローッパ精神の良い面を見る思いがする。</p>
<p>よく言われる西洋の進歩史観からすれば、これは一つの立ち止まりであり、反省の姿勢を表すものであろう。サルコジ氏は前文の挨拶で次のことを二度繰り返し述べている。<br />
『この委員会「以前」と「以降」という言い方をするようになるだろう。』<br />
（訳者によると、「フランスでは・・・この報告書を全公務員の研修用必読文献にしたという」）</p>
<p>「幸福度」という言葉はすでにブータン王国で使われており、日本人にとって話題にもなったが、国際社会全体にとってGDPの指標が、それだけでは人々の生活の実態を示してはいない状況が、差し迫った段階にきていることの証しでもあろう。<br />
その序文では、例として次のことをあげている。</p>
<p>『ロシアでは１人当りGDPが上昇しているとしても、平均寿命が短くなっており、背後に問題があることがわかる。アメリカでも同じようなことが起きている。たいていの人の（物価調整後の）所得は1999年から2008年まで低下したのに、1人当りGDPは増加した。これは経済業績について、まったく異なる二つの姿を示すものである。<br />
　暮らしの現実とGDP統計のこうしたズレは、所得が上昇しているとき、同時に所得格差が拡大していると発生する。』</p>
<p>さて、日本ではこれら一連のニュースは、少なくとも大きな話題としては無かったのではないか。（私は残念ながら見聞きした覚えは無いのだが）たとえそれがニュースとして流れたとしても、そのことが継続すべき大切な話題であり、むしろ社会全体がこれから何を指標にして、どういう方向へ向かえばいいのかといったテーマを、政府自身が提唱すべきではないだろうか。<br />
これからの日本を考える場合にも、こうしたことがもとても大切なことになると受け止めていれば、政党の党首選挙の騒がしい今、空しい言葉の乱発ではなく、現実を踏まえた理念を語り、生活の質を変えることによって、人々の生活の幸福度を上げるためには何をするべきかをせめて候補の一人くらいには、言葉にして欲しいものである。</p>
<p>原発依存のゼロ化、雇用の創出、美しい日本、そして相変わらずのGDPの上昇・・などの個別の政策ではなく、国民の「生活の質」とは何かを明らかにし、それと政策とがどのように結びつくのかを示すべきであろう。<br />
日本語における＜民主主義＞も＜自由＞も、その内実は何だろうかとあらためて思う私にとっては、報告書に表れる　“well-being”という言葉は「幸福度」といったニュアンスよりは個人の自由度、生活の充実度、生活にまつわる諸概念の現実感等々、その都度別々の言葉で表してみたい気がする。「幸福」という言葉よりずっと、個人の自立を前提にした言葉のように思えるからである。<br />
But emphasising well-being is important because there appears to be an increasing gap between the information contained in aggregate GDP data and what counts for common people’s well-being. This means working towards the development of a statistical system that complements measures of market activity by measures centred on people’s well-being and by measures that capture sustainability.</p>
<p>（<a href="http://www.stiglitz-sen-fitoussi.fr/documents/rapport_anglais.pdf" target="blank_">「Report by the Commission on the Measurement of Economic Performance and Social Progress」</a>　より引用）</p>
<p>＜common people’s well-being＞「普通の人びとの幸福度」<br />
このcommonや people’sや well-being一つ一つの語に感じられるニュアンスと、日本語から来るものとはまだまだ千里の径庭があるといわざるを得ない。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://core-english.net/505.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://core-english.net/505.html" />
	</item>
		<item>
		<title>語順訳あるいは震災・原発（その３）</title>
		<link>http://core-english.net/503.html</link>
		<comments>http://core-english.net/503.html#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 19 Jul 2012 05:00:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>otozuki</dc:creator>
				<category><![CDATA[日々のオトヅキ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://core-english.net/?p=503</guid>
		<description><![CDATA[その２　「雪国」（川端康成・作）の１行目の不思議（二） 英語（話者）とちがって、日本語（話者）では主語の省略により、主客未分、人間と自然との合一の感覚を表現できる、という解釈とは別に次のことが言えるのではないだろうか。こ... <a class="meta-more" href="http://core-english.net/503.html">more <span class="meta-nav">&#187;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h3>その２　「雪国」（川端康成・作）の１行目の不思議（二）</h3>
<p>英語（話者）とちがって、日本語（話者）<a href="http://core-english.net/wp-content/uploads/2012/07/yukiguni-21.jpg" rel="lightbox[503]"><img src="http://core-english.net/wp-content/uploads/2012/07/yukiguni-21-180x135.jpg" alt="雪国" width="180" height="135" class="alignright size-medium wp-image-504" /></a>では主語の省略により、主客未分、人間と自然との合一の感覚を表現できる、という解釈とは別に次のことが言えるのではないだろうか。この「世界」は本来整合性をもつはずであり、それに対して「私は」「こう判断する」とか「このように認識する」といったヨーロッパ的認識に対して、日本（極東？）では、いつも現実認識として、そのヨーロッパ的なものと、「いや、世界は本来的に整合性や真理という概念ではくくれないのではないか」といった、合理性の一歩手前でいつも立ち止まらせる意識が働くように思える。日本人的在り方というより、現在では日本語表現における、西洋が象徴する近代と、日本の歴史性との重層性に問題はあるのではないか。</p>
<p>明治以降ヨーロッパの文学も日本に入り、明治の文学者たちは、その小説の描き方に影響を受けて、いわゆる作者（現実に生きている存在）と、小説の語り手とをいかに分離して描くかという課題にぶつかったのであった。<br />
何故それが課題だったか。<br />
それは情報としての西洋。科学、文学、経済など文明・文化としての西洋に驚き、あわてて受け入れ、あるいは「世界」というものに加わろうとしながら、その「世界」は決して自分たち日本の「世界」（世間）の延長として存在しているわけではなかった。自分たちを支配している共同世界は現実の目の前の日本であり、自分が生活している都会や地方都市や村といった固有の共同観念を強いる世界であり、にもかかわらず西洋に代表されるいわゆる「世界」との二重性を意識せざるを得ない形で日本人の生活意識は成り立ってきたといえる。</p>
<p>「明治」をくぐり抜けた人たちだけでなく、いま現在に至るまでの日本人の誰もがこの二重性に対して無意識に、あるいは意識的に対処し、物事の判断に際して苦慮する原因を作っている。<br />
語り手の存在の確立には、この普遍概念としての「世界」をともかくも掴んだ、という思いを必要としたのではなかったか。</p>
<p>川端もまた、ある時期のこの二重性の世界の狭間にいて、どのようにそこを突き抜けるかを模索したはずである。否応無しに「世界」と対峙する都会生活では見出せない美の世界が、トンネルの向こう側にはあるかのように描きたい。川端の中では日本的であることを十分に意識しながら、なおかつ西洋というものを組み込んだ「世界」への関わりを避けて通り得ないという認識を経て、日本語を自在に操ったと言えるかもしれない。</p>
<p>日本語（話者）にとって、「主語」を立てることは、どこかで必ず、西洋的な「主体」同士の関係を語る「語り手」を生み出すことである。だが逆に「主語」を書かずに、いわば強引に、見えない主語と述語を溶接してしまう語り手は、主客未分の存在形式を主張したかったのではなく、西洋をも含んだ「世界」との葛藤をこそ描いたと、いうべきであろう。<br />
☆<br />
日本の近代化に終わりがあり得ないとすれば、英文を日本語に語順訳しながら、その違和感を体験し続けることは、英語の構文への理解を進めるだけではなく、これからも英語という言葉、その背景である西洋という世界を感じるひとつの方法であるといえるだろう。英語がわかるということは、とりもなおさず英語「世界」の現実という地面に錘りが、すこしは触れていることなのだから。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　☆<br />
「雪国」の1行目の表現世界。その日本語へのこだわりから、私は「震災」や「原発」にまつわることを考えてみたいと思った。すぐに何かがわかるわけではないにしても、さまざまな主義主張とは別に、表現された日本語にこだわってみたいと。誰の身にも起こりうる震災や原発事故について考えるということは、常に現実の関係と「世界」というものをどのように関係づけるかということであるなら、それは必ず、言葉に現れていると考えるからである。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://core-english.net/503.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://core-english.net/503.html" />
	</item>
		<item>
		<title>「産学官民連携の地域力」</title>
		<link>http://core-english.net/501.html</link>
		<comments>http://core-english.net/501.html#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 18 Jul 2012 04:01:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>otozuki</dc:creator>
				<category><![CDATA[日々のオトヅキ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://core-english.net/?p=501</guid>
		<description><![CDATA[「産学官民連携の地域力」　 関西ネットワークシステム編 学芸出版社刊 　 ６月にKNS関西ネットワークシステムの会に出席したおり、世話人のお一人、メビック扇町の堂野さんが、二度三度と司会の合間にこの本を紹介されたので、そ... <a class="meta-more" href="http://core-english.net/501.html">more <span class="meta-nav">&#187;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「産学官民連携の地域力」<div id="attachment_502" class="wp-caption alignright" style="width: 135px"><a href="http://core-english.net/wp-content/uploads/2012/07/book-1.jpg" rel="lightbox[501]"><img src="http://core-english.net/wp-content/uploads/2012/07/book-1-125x180.jpg" alt="book-1" width="125" height="180" class="size-medium wp-image-502" /></a><p class="wp-caption-text">英語教育の世界も産学官民連携で</p></div>　<br />
関西ネットワークシステム編<br />
学芸出版社刊</p>
<p>　<br />
６月にKNS関西ネットワークシステムの会に出席したおり、世話人のお一人、メビック扇町の堂野さんが、二度三度と司会の合間にこの本を紹介されたので、その存在を知り読んでみた。<br />
読み終えて、想像以上の世界がそこに展開されていることにまず驚き、そしてあとはため息が出るばかりだった。<br />
肩書きを横に置いたおつきあいが、新しいうねりを生み出している、ということに驚き、教育の世界や英語学習の分野では、こうした集まりの可能性に半ば絶望的だからである。</p>
<p>私自身は大阪に事務所を構えた今春、単なる英語英会話教室ではなく、「英語」を媒介として如何に地域の方々が集まる場所に出来るかを考えて来た。<br />
日本人にとっての英語は、必ずしもビジネス等で使えるレベルということに限らず、どのような形ででも触れていくことは大切だと思っているからである。</p>
<p>３年前大阪府内の公立中学の先生方対象にセミナーを開いたとき、その案内の一つとして府や市の教育委員会に出向き説明はしたものの、そこでまず最初に担当の方がおっしゃる言葉が「営利事業のは案内できません」であり、或る市では「会社？だめ！だめ！」と、こちらと口をきくのも駄目という態度に驚いた。英語教育についてのセミナーをしたいと申し出ているのだから、せめてそれがどのような内容で、現在の学校教育に生かせるヒントの一つでもあるのかと、かえって興味津々の反応があっても良さそうなのに、一応聞きましたで終わり。学力を上げることは関係者にとっては切実な問題ではないのだろうか。どんなこと、誰の経験にしろ、広く情報を収集し検討すべきだと思うのは、「企業さん」であるからなのか。</p>
<p>二つの市では教育委員会の方の配布物と一緒に中学校に配っていただけたので、行政地区による対応の差にまたまた驚きもした。<br />
DMで各学校に案内して、計１５名の先生方は来られたけれども、どんなに良い方法でも、現実の学校で新しい試みをすることがいかに困難かを、皆さん訴えられていた。こうした試みで感じたことは「何重にも」壁があるということであった。現在の仕事に携わって４０年近くなり、教育、とりわけ英語学習の方法論等については、根本的な話し合いを関係者で行うことで、教育のための時間経済性を高めないと、この先百年何も変わらない。そんな気持ちに満ちていた私にとって、KNSの集まりはとても新鮮で、刺激的あった。<br />
☆<br />
ものつくり中心の今のKNSに参加させていただいた日は、大きなため息をついて帰途につくくせがつきそうです。<br />
英語はビジネスの世界はもちろんのこと、そこに至るまでの子供たちの学習においても立ち後れた分野だと思います。「英語好き」が集まっても、画期的なことは何も始まりません。どなたか「英語嫌い」の方々と、話題を共有したいものだと思っております。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://core-english.net/501.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://core-english.net/501.html" />
	</item>
		<item>
		<title>語順訳あるいは震災・原発（その２）</title>
		<link>http://core-english.net/498.html</link>
		<comments>http://core-english.net/498.html#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 13 Jul 2012 06:54:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>otozuki</dc:creator>
				<category><![CDATA[日々のオトヅキ]]></category>
		<category><![CDATA[英語で雪国]]></category>
		<category><![CDATA[語順]]></category>
		<category><![CDATA[雪国]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://core-english.net/?p=498</guid>
		<description><![CDATA[「雪国」（川端康成・作）の１行目の不思議（一） 「汽車が、国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」というように、川端が「主語」を明快に書いていたら、これほど話題にはならなかったでしょう。サイデン・ステッカーが翻訳した... <a class="meta-more" href="http://core-english.net/498.html">more <span class="meta-nav">&#187;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h3>「雪国」（川端康成・作）の１行目の不思議（一）</h3>
<p>「汽車が、国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」というように、川端が「主語」を明快に書いていたら、これほど話題にはならなかったでしょう。サイデン・ステッカーが翻訳した作品、その１行目の英文を語順訳するとこうなります。</p>
<p>The train came out of the long tunnel into the snow country.<br />
汽車は<br />
汽車はきた<br />
汽車は～から出てきた<br />
汽車は長いから出てきた<br />
汽車は長いトンネルから出てきた<br />
汽車は長いトンネルから～の中へ出てきた<br />
汽車は長いトンネルから雪国の中へ出てきた</p>
<p>主語と動詞を挟んで順繰りに語句を加えてゆく訳の過程で、学習者は英語の主語と動詞の結びつきの強さを否応なしに感ずることになります。初期の訳し方だと、文を完訳するまでに６回、主語と動詞の組み合わせを繰り返しますので、主語の単独の存在感ではなく、主語と動詞の関係の強度、とでもいうべきものを体感するのです。<br />
この英文は、「国境」という、川端がこだわったはずの一語を省くことで、「主語」を設定しえた訳、とでもいっていいかもしれません。</p>
<p>☆<br />
<div id="attachment_499" class="wp-caption alignright" style="width: 190px"><a href="http://core-english.net/wp-content/uploads/2012/07/yukiguni-2.jpg" rel="lightbox[498]"><img src="http://core-english.net/wp-content/uploads/2012/07/yukiguni-2-180x135.jpg" alt="SNOW COUNTRY" width="180" height="135" class="size-medium wp-image-499" /></a><p class="wp-caption-text">SNOW COUNTRY</p></div>なぜ、川端康成は第１行目では、主語が無く、登場人物の独語とも、語り手の視線からの描写とも思える曖昧な表現を選択したのか。この１行目の日本文と、サイデン・ステッッカーが翻訳した英文との差異を多くの識者が様々に解釈を示している。それらとは異なる試みをしてみたい。</p>
<p>原作は<br />
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」<br />
明らかに英文と異なるのは、主語の有無云々以前に、まず語り手の表現の意識の流れの最初に来る語が、「The train」と「国境」ということである。必ずしも最初に主語を設定する必要の無い日本語、その原作では明らかに、「国境」が強く意識されている。単純に地理的境界というのではない。なぜなら、主人公はこの列車に乗り、国境のトンネルを抜けるのは初めてではない。登山にふさわしい新緑の季節に一度来て、駒子と出会っているのである。そして、まさにかつて新緑であった前回は、「こちらとあちら」は同じように新緑に溢れていたのである。その同一性が今回は裏切られ、あちら側が異なる風景を見せていることに驚いているわけである。</p>
<p>主人公島村にとって、こちら側（都会生活、現実の場所）とあちら側（駒子と共有した山村での時間）とをスムーズに結びつけたいという願望に対して、雪国の風景はちいさなひび割れを起こす予兆ともなっているのである。二人が共有した新緑の風景は、ここで主人公にとって未知の「雪国」へと変化したのである。</p>
<p>作者はトンネルを挟んで異なる風景へと汽車が走り出る様を描きたかったわけではない。このトンネルを抜けると駒子に会うことになるという主人公の思い（時間）に小さな切断面を入れておきたかった、それが「だった」の結語に表れてはいないだろうか。「雪国」は風景としてのそれと、文字通り都会とは異なる世界の象徴としての存在という両義性があるように思う。</p>
<p>この１行目では作者はまだ語り手として自らを分離することなく、主人公の立場からの表出を感じさせる文体を選択している。なぜか。主人公の過去からの時間性を説明抜きで表したかった。それは表現上の技術の問題ではなく、作者はこの１行にこだわったのである。語り手として離陸する前に、彼は長い間この１行に、この１行の喚起する自らのイメージに滞留していたのではないだろうか。作品の構成が出来てから最初の１行を考えたか、最初にこの１行が浮かんだかは問題ではない。全体の構成とこの１行の関係を考えたとき、作者と語り手とを分離し、主語を立てることを拒否したとしかいいようがない。「長い」という言葉にも距離的な事実だけではなく、一回目の旅の行き帰りの感情が重なっていると見るべきであろう。</p>
<p>最初に「国境の長いトンネルを抜けると」がくる段階では、読者は汽車を連想してもおかしくはない。だがそれが示されることなく、「雪国」が来る。そのあとに「である」で終止すれば、語り手による情景描写とも受け取れる。英文のように、主語としての「汽車」が省かれているというように解釈もできる。しかし、「あった」と来る。この感慨をこめた終わりが来たとき、読者は想定された「語り」や「主語」の行き場が無くなり、第4文の「向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した」に至ってようやく、語り手と登場人物という形式に落ち着きを覚えるのである。まるで夢から覚めるようにして、語り手が現れてくる。</p>
<p>もちろん、この語りは、語り手の客観描写とも受け取れる。その場合は「汽車が」という主語が省略されているという判断に近づくことになる。しかし、その場合は、やはりなぜ省略を選択したのかが、問われなければならない。日本語における主語の省略は、省略ではなく、主語に対するより、物事への関係意識の方へ引き寄せられた結果であるというべきである。それが日本語の自然な振る舞いというのではなく、明らかに作者は現実と格闘し、その現れとしての小説であることを自覚している。また、だからこそ、この作品は人々の共感を呼んでいるにちがいない。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://core-english.net/498.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://core-english.net/498.html" />
	</item>
	</channel>
</rss>
